★ 【万聖節前夜祭にて】Overture ★
<オープニング>

〈grave〉

 連日にわたりずるずると降り続けた雨のせいか、土は半ば泥状と化し、足下は世辞にも好いとは言えない。ひとつ歩むごとに踝(くるぶし)までを絡め取り呑み込もうとでもしているかのようなその土の遥か上空、星も月も無い万全たる闇が広がっている。
 周囲を囲うのは鬱々と広がる樹林、当然の事のように外灯の類はひとつも無い。必然的に視界はほとんどが漆黒の底にあるといっても過言ではない状態だ。が、それゆえに、かえってその影は確かに浮かび上がっているように見える。
 頭から爪先までを純白で包んだそれは、闇の中に浮かび上がり、あたかも彷徨う霊や怪の類にも見えたかもしれない。が、もしも仮にそれを間近に見る者があれば、それは真白なカソックに酷似した衣装を身につけた、灰色に近い銀の髪を振り乱した男であるのが知れただろう。
 男は胸元に真鍮のクロスを提げ、一心に土を掘り続けている。初めこそスコップを用いていたようだが、今はもう素手でひたすらに湿った土を掻いている。おかげで袖は土にまみれすっかり汚れていた。
 ほどなく、男は土の下に埋もれていたものを見つけて頬を歪め、――けれどもそれを抱き起こし、そうして深い嘆息を落とす。
「違う……違う……違う……違う」
 低い声を闇の中に落とし、激しくかぶりを振った後、男は抱き起こしたそれ――腐りかけた死骸の胸に杭を据えた。


「市の外れに森があるのをご存知ですか? ええ、森を抜ければ隣県に続く公道に出るのですが、何分にも森は結構広大で、ある種の樹海のようなものだと言って過言ではないのです」
 言いながら、植村 直紀は眼前の客に湯呑を差し出す。出がらしで申し訳ないと言いながら自分もそれを口に運び、わずかに眉をしかめた。
「その森の周辺にある土地は、昔からの名残りもあって、未だに土葬を敢行しているのですが……むろんこれはその一部分だけで、せいぜい年に数体ほどが土葬にされているだけです。もちろん市では基本的には荼毘に付すのが通常ですが、ただ、他の都市と違い、条例を布いていないというだけなんですよ」
 
 その森の傍に、近頃、突如新たに一軒の屋敷が現れた。ハザードだと認定されたそれは屋敷と言うよりはむしろ西欧の城のような見目を持ち、事実、城主は時おり舞踏会のようなものを催しては近辺の住人たち、あるいはムービースターやファン、エキストラといったあらゆる客人を招いては歓待しているのだという。
 ……が。
「その舞踏会に参加した客の中で、複数名そのまま行方不明になっている方がいるんですよ。いえ、当日そのまま失踪しているわけではなくて、舞踏会に参加して数日……あるいは数週間の後、痕跡も残さずに行方をくらましているんです」
 また、行方不明になった者の他にも、明らかな変化を迎えた者もいる。
「食事を摂らなくなった……あるいは日没後からしか活動しなくなった。……そういった方々もおられるようで。そういった方々はその後も舞踏会に参加されているようなんですが、……どうしたものでしょうか」


 その夜、森の傍にあるその城では恒例となった舞踏会が華やかな音楽と共に始まった。
 万聖節――ハロウィンを祝うためのものという主旨のもと、パーティーは多くの客人を迎え賑やかに進む。
 その人混みの中、真白なカソック……修道服によく似たデザインの衣装を身につけた銀髪の男がひとり、おもいおもいの仮装に扮した来客たちの間をすり抜けて進んでいた。
 男の目元にはヴェネチアンマスク。美しく装飾されたそれで隠す双眸は夜の空の色を浮べている。口許には薄い笑みを浮かべ、時おりぶつかる女性たちには
「spiacente(すみません)」
 丁寧なお辞儀をしてみせている。
 男はそのまま真っ直ぐに城主・ラウロを狙いすましていた。
 口許に酷薄な笑みが滲む。
 ――懐には銀で作った杭を収め、首には真鍮で出来たクロスを提げていた。




種別名シナリオ 管理番号232
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
クリエイターコメント今回はハロウィンにちなんだ(?)新しいシナリオのお誘いにあがりました。
今シナリオで新しくNPCカイザーを紹介させていただくはこびとなりました。よろしければ寺島や読売と同様、よしなにお願いいたします。

読んでいただければお分かりの通り、今回は森の傍に現れた古城の城主カルロが一連の事件(失踪者続出・舞踏会参加後に豹変した者続出、などなど)の黒幕となっております。
また、舞踏会の会場にはカルロの同胞となった『おきあがり』、すなわちヴァンパイアたちが大勢おります。カルロに刃を向ければ必然的に彼らもまた牙を剥くでしょう。むろん、中には毒されてはいない人間もおります。そういった方々の救出もまた必要です。

また、ハロウィンにちなんだパーティーとなっておりますので、参加をご一考くださる皆さまには同様に何らかの仮装をお願いいたします。カイザーのように仮面をつけるだけでもOKです。

シリアスなノベルとなります。よろしくお願いいたします。
それでは、皆さまのご参加、心よりお待ちしております。

参加者
ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
ソルファ(cyhp6009) ムービースター 男 19歳 気まぐれな助っ人
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
クロス(cfhm1859) ムービースター 男 26歳 神父
藤田 博美(ccbb5197) ムービースター 女 19歳 元・某国人民陸軍中士
<ノベル>

<ciaccona>


 城の周りを囲う深い森、夜の闇に沈むその闇黒から扉を開き城に踏み入ったのは、まるで闇をそのまま具現化したかのようなひとりの男とひとりの女だった。 
 男は漆黒のマントで全身を包み、顔は鴉の面でその大半を覆い隠している。華奢な体躯ではあるようだが、しかし漂う風格は他者の目を惹き付けるには充分足りすぎるもので、場の誰もが男の正体も真の名も知り得てはいなかったが、場の誰もが男に注目を寄せていた。
「クロウ様、御機嫌よう」
 鴉の面をつけているが故に便宜上クロウという名で呼ばれている漆黒の紳士は、銀のトレイにグラスをのせ恭しく歩み寄って来た女給仕に簡易な礼を口にする。
「ガッディナーラかい」
 グラスを受け取り、その中に揺れる芳醇な赤に口許を緩める。
「美神ですら足許にも寄れないような美しいお連れ様にも」
 給仕が差し伸べたもうひとつのグラスを、男は半歩ばかり後ろで控えていた女に勧めた。
「幻の銘酒と言われているものだよ。――君もどうかな、美神よりもなお麗しいお嬢さん」
「いただくわ」
 応えてかつりと踏み寄ったのは、実に美しい、まさに女神と称するに相応しい女だ。
 背に流した絹糸の如き銀髪、見る者をたちどころに魅了してしまう、すうと伸びた赤い瞳。魅惑的な躯を包む漆黒のベルヴェッドはシンプルなカクテルドレス。
 しなやかな腕を伸べてグラスを受け取ると、女はクロウと呼ばれている連れ合いの男に軽く笑みを浮かべ、次いでグラスを口にする。

 二、三十人ほどの人数ならば充分にくつろげる程度の広さをもったダンスホールは、一方に森へと続く扉、扉とは真逆な位置に二階へと続く螺旋階段がある。螺旋階段の下にはホールから奥へと伸びる吹き抜けの通路があり、残る二方には採光のためか小さな窓がふつふつと確認出来る。――否、採光のためにしては窓はことごとく厚いカーテンで仕切られている。雨戸のようなものも見受けられるが、今は雨戸も窓もほとんどが開放されており、森を渡るさえざえとした夜風がホール内にこもりがちな熱気を中和していた。
 螺旋階段の傍には黒いタキシードをまとった男が数人並び、今はバッハのパルティータを奏していた。
 女給仕がカートを押しながら螺旋階段の裏手に続く通路に向かい消えて行ったのを見送りながら、男は再びグラスを口に運び、ホール内のさわさわとしたざわめきの中を一望した。
「ほう、今夜は見慣れないゲストがいるね」
 言いながらも、男は女を気遣うのにも心を傾ける。女に向けて片手を伸べ、女は何事かを含めたような笑みを唇にのせて目を眇めた。
「こういう場所だもの、新しいゲストが増えるのは珍しくもなんともありませんでしょう」
「その通り。――だがね、ご覧、グラーティアエにも引けを取らないレディ」
 微笑しながら男が示したその方角には白いカソックをまとった銀髪の青年が見える。
 身丈が高く、体躯も相応にしっかりとしているためか、あるいは色とりどりのドレスや黒いタキシード、マント姿のゲスト達の中にあっては白いカソックといった風体が目立つためなのかもしれないが、ともかくも青年は人混みの中にあってもどこか奇妙に目だっていた。
「あら、神父様かしら」
 女は細い首を傾げる。「それにしては、少ぉしばかり空気の違う方のようだけど」
 どこへ向かうつもりなのかしらと一人ごちながら青年を追った女の目に、パルティータを奏している楽師達の傍でグラスを傾けている城主ラウロの姿が映った。
「ラウロに用があるようだね。――ああ、しかし、友好的な挨拶を述べに行ったのではないらしい」
 鴉面をつけた男は典雅な笑みを零す。
 青年の手が、杭のようなものをこっそりと掴んでいるのが見えたのだ。
 女はするりとグラスを男に手渡して流麗な仕草で礼をする。
「わたくし、あのお方にダンスを申し込んできますわ。あなたといるのも楽しいけれど、今はあのお方と踊るの方が面白そう」
 長い銀糸がするりと揺れて、黒のベルヴェッドに滑らかな光沢を落とす。
「私はその辺でグラスを空けているとしよう」
 男が笑みを返したのを検めて、女はふわりとドレスの裾を揺らし、人混みを縫うようにして青年のもとへと歩み始めた。

  ★ ★ ★

 藤田博美は続く不明者に関する安否確認と行方の探索、可能ならばとついで依頼された彼らの救出を達成するため、件の城内へと潜入していた。
 むろん、ラウロを城主として建つこの城が案件と係わりがあるか否かは、残念ながら、現時点では未だ明確ではない。それを検めるための潜入でもある。
 しかし、
 ヴァイオリンの音が満ちているホール内を一望し、現時点で収容されているおおよその人数を確かめた。
 しかし、このままこうしてホールをうろつき、無意味にグラスを空け続けても意味はない。
 仮面と仮装とで顔と名前を覆い隠したゲスト達が美酒と談話と音楽に気持ちを浮かれさせている間に、どうにかしてあの螺旋階段を上るか、あるいは螺旋の裏にある通路をくぐって城内の探索にいかなくては。
 三杯目のものとなるグラスの残りを一息に干して、博美は手製のドレスの裾をわずかばかり持ち上げ、足を踏み出す。
 今日は少しばかり気の早いハロウィンを主旨とするパーティー。その中では、博美が身につけている黒のドレス――魔女の出で立ちをデザインした衣装はすんなりと馴染み、かつ、顔を仮面で覆い隠している事もあってか、目立つ事もなく、比較的するすると動きがとれるのだ。
 カートに使用済みのグラスやデキャンタをのせた女給仕が歩いて来る。
「すみません。私、少し気分が優れなくて。――どこか、休めるような場所はないかしら」
「まあ、大丈夫ですか? そういえば少しお顔のお色も優れないような」
「ええ、ありがとう。少し横になればすぐによくなるはずなんだけど」
「畏まりました、魔女様。ご案内いたしますので、こちらへ。――カートを押しながらで失礼いたします」
 給仕はすんなりと博美の言にうなずいた。
 体調が優れないのは虚実ではない、紛れもなく事実だ。顔色の悪いのも演技ではない。
 工作員としてあらゆる訓練を積んできた博美には、自身の体調をごく一時的に悪化される事なども苦ではない。専用に調合したカプセルをひとつ口に放り込めばいいだけの事。
「ありがとう」
 言って、博美は螺旋階段の下をくぐりながら弱々しく微笑んだ。

  ★ ★ ★

 それは前日の深夜に結ばれた邂逅だった。
 連日続いた雨のためか、森の木立ちや踏みしだく下草はむろんの事、土も随分と湿っており、必然的に辺りには森の匂い――草や土、未だ残されている雨水の気配などが色濃く広がっていた。
 腐った葉や菌類の匂いを踏みながら、クロスは夜の森を散策していたのだ。
 空は未だどんよりとした雲で覆われていて、月や星は欠片ほども顔を覗かせてはいなかった。
 森は刻々とその顔を変化させる。朝の涼やかで爽涼とした美しい顔、晴れた日には来るものを柔らかな治癒の力で抱き包む。雨が降れば黒い暗黒の気配を漂わせ、夜ともなればそれまで息を潜めていた魔物共が跋扈し歓喜を叫ぶ怖ろしい魔界へと一変するのだ。
 その様々な顔の中でも、クロスは夜の森をもっとも深く愛している。得体の知れぬ生物のように蠢く樹林、それが落とす音や影。夜を飛ぶ鳥や虫共の声、永劫に続く迷路(メイズ)に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えるのも素晴らしい。蠢く木々や草花が、今にも四肢を絡め喰らいに来るのではないかという畏怖を抱かせるのも面白い。
 ――実に好い夜だ
 気を良くしながら森を歩いていた彼は、ふと、木々の隙間に覗く白い影があるのを目にとめた。
 人影は白いカソックを纏った男であり、男は手当たり次第に土を掘り続けている。
 そこは森を抜けてすぐの場所に広がっていた、おそらくは墓所だろう。しかも荼毘に付し埋葬しているのではなく、どうやらそのままの埋葬――つまりは土葬という形を取っているようだ。
 そこを一心に掘り続けている男は、ならば墓荒らしというあたりか。
 鼻先に触れるのは草や土の匂い、そうして草や雨の名残り。そうして、今はそれに織り交ざり、うっそりとした死臭までもが漂っている。
 ああ、実に好い夜だ
 クロスは間近の幹に身をもたれかけ、腕組をして男が見せる一連の流れに見入り続けていた。
 それから数刻ほどが過ぎ、青年は幽鬼のようにふらりと立ち上がって墓所を後にした。
 実に五、六ヶ所は掘り起こしていっただろうか。次いで言えば掘った穴からは新旧の遺骸を抱き起こし、何事かをぶつぶつ言いながらひとつひとつに杭を打ちつけていた。
 男に興味を覚えて後を尾行けたクロスは森の傍らに佇む屋敷、いや、ちょっとした城と言うべきか。ともかくもそれを目の前に見出した。
 それはパッラディーオ様式の邸宅を豪奢に飾り立てたような建物で、窓には明かりが灯され、建物の、どこか一郭からさわさわと漏れ聴こえる人々の気配が窺える。
 死臭はその建物の全体からも強く漂っていた。
 男はいつの間にか姿を消してしまったが、クロスは口角を歪め持ち上げながら一人ごちたのだ。
「……素晴らしい」

 そうして今日、日暮れを待って訪れたのは昨夜見出したあの城だ。
 闇のどこかから続々と姿を現したのは中世の貴族のような出で立ちに扮した紳士や淑女、あるいは魔女やモンスターに扮した者もいる。
 クロスは女物の、織りの独特な民族的な黒いベールを被り、ミイラの演奏者に扮してその波に混ざりこんだ。
 死の匂いはさらにその気配を色濃くしていく。
 素晴らしい
 ベールの下、クロスは笑みの浮かぶ口許に片手を添えて腹の底だけで低く笑う。

  ★ ★ ★

 ホール内に並んだテーブルにはワインとグラスばかりがのせられていた。
 軽くつまむためのチーズもクラッカーも、ましてや野菜スティックなどといったものはどのテーブルを見ても欠片ほども見当たらない。
 しょうがなく、ソルファは袖からニンジンを丸ごと取り出して、躊躇もせずに齧り付いた。
 ニンジンの甘みが口の中一杯に広がる。

 ハロウィンパーティーが催されるらしいという噂は、はたしてどこで耳にしたのだったか。
 初めは、それならばと勢い込んで足を踏み入れてみただけだった。
 日本を代表する某有名な怪獣を模して作った着ぐるみと、けれど尻尾は緑色のトカゲのもの。この尻尾は作り物ではなく自前のもので、だからソルファの意思に合わせてはたはたと動き磨き上げられた床にぶつかっていた。
 ニンジンをぺろりと平らげて、ソルファはホールの隅でホールの全容を検めた。
 大半がドレスやタキシード、魔女やモンスター。ソルファの仮装もまたモンスターに数えられているだろうか。時折すれ違う淑女達がさわさわと笑いさざめきながら「可愛い怪獣ね」と言って過ぎていく。
 しかし、ソルファは不機嫌を顕わにした面持ちで、今度はキュウリを取り出して口に運ぶ。
 この場で笑いさざめくゲスト達は、否、先ほど体調を崩したらしい魔女を連れて行った女給仕も、そうしてあの楽士達も、ほとんどの者から不快な気配が漂っているのだ。
 流れる流麗な音楽。中にはそれに合わせ踊る淑女達もいる。全体の上辺だけを見るならば、それはどこまでも上質な空間といえるのだろう。
 だが。
 ソルファはキュウリを齧りながら壁に背を預け、楽士の脇で鴉面をつけた紳士と話し込んでいる城主ラウロに目を向けた。
 ――この場にいるゲストのほとんどは、あのラウロを筆頭に、死者と呼んで間違いではない存在へと変じている。
 動く死体。ホラー映画ならばゾンビとでも表現するのだろうが、今目の前で蠢いている彼らは映画中でのゾンビといったものとは逸したものに見える。一見すれば普通の、生きて動く人間と何ら変わらない。
「まあ、可愛い怪獣さんね」
 白百合を模して作られた仮面で顔を隠している淑女がソルファに歩み寄り、その細く白い腕を伸べて着ぐるみの手に触れようとした。
「触んなよ」
 ソルファは不快を全面に出した顔でその手を払い落とし、キュウリを齧りながら場所を移動する。
 ――汚らわしい起き上がり共め
 吐き捨てるように呟いたソルファの言は、果たして彼女の耳に触れただろうか。



<tempo rubato>

「今宵こそはお名前をお聞かせいただけますね」
 ラウロに問われ、鴉面の紳士は手にしたグラスの中の赤を揺らしつつ口許に小さな笑みを浮かべる。
「名前など、知ったところで果たして如何なる意味を持ちますでしょうかね」
 鴉面の紳士――ブラックウッドはそう応えて仮面の下の双眸を妖しいまでの金色に閃かせた。

 ラウロはこの城の城主で、背に流した黒髪に燃え盛る焔の目を持っている。先代である養父が身罷った後に城主としての座も受け継いだのだと言うが、見目だけで判別するならば城主と呼ぶにはいくぶん頼りない。つまりはせいぜい二十をようやく跨いだばかり程度の齢にしか見えないのだ。
 だからなのか、ラウロはしきりにブラックウッドを慕い、彼が城の舞踏会に足を踏み入れるたびに何かと近寄り言を交わそうとしているようだった。

「私はクロウ、それで充分なのではないかね」
 面の淵を指先でなぞりつつ笑みをこぼすブラックウッドに、ラウロは小さなため息をひとつ落としてかぶりを振る。
「やはり教えてはくださらないのか」
 大袈裟に肩を落とすラウロに、ブラックウッドはふと楽士に視線を向けて首を傾いだ。
 絶え間なく流れ続けているように思われる音色も、やはり、ふと途切れる事もある。ゲスト達はあまりそれに頓着ないようではあったが、ブラックウッドは曲が途切れると自然にそちらに視線を投げてしまう。城のお抱え楽士という事もあってか、彼らのつまびく音は一流だ。時に譜面に忠実に、時にはアレンジを加え、テンポにも変化を持たせてみたりと、実に趣向の凝った音を聴かせてくれる。
「おや、ラウロ君。新しい奏者を雇ったのかね」
 ブラックウッドの視線の先、ベールを被っているせいで性別の窺い難いミイラ姿の奏者がいる。ミイラはスタンバイされているものの中からバンドネオンを選び持ち、音階の調整をいくぶん整えた後に何ら断りもなくそれを弾き始めた。
「いや、雇い入れてはいないな。……ゲストが飛び入りしたのかもしれない」
 ラウロが呟くその背後に立ち、ブラックウッドは「ふむ」と興味深げにうなずき、ミイラ姿の演奏者をまっすぐに見据えた。
 飛び入りでバンドネオンを弾き出したミイラは線が細く華奢ではあるが、骨格から察するに男である事には違いないだろう。
 ショパンに大幅なアレンジを加えたアップテンポな曲目は、ミイラ男が即興で奏しているものか。
 グラスを口に運びつつミイラ男を見つめていると、ふとミイラ男の目がベールの隙間からブラックウッドの顔を見つめ返してよこした。
 緑に瞬く双眸に、黄金に閃く艶やかな髪。
 彼の口許がふと笑ったような気がして、ブラックウッドもまた同じく笑みを浮かべる。
 ――なるほど、今宵はそれなりに楽しい夜となるのかもしれない
 そんな予兆めいたものを、ワインと共に干しながら。

 ホール内に弾かれたバンドネオンの音色に合わせ、ベルヴェッドを纏った妖美な女は白いカソックの男の手を取りダンスを刻む。
 先ほど、杭を手にラウロに挑みかかろうとしていた男を、彼女の細い指先がしっかりと捉えてしまったのだ。

「お名前を伺ってもよろしくて?」
 女は絹糸のような銀髪をひらひらと踊らせながら男の首に両腕をまわす。
 男はむっつりとした表情を浮かべながらも、しかしダンスはそれなりに踊れるらしい。形式に捉われない、かなりキツめのアレンジをきたしているというにも係わらず、男はさほどまごつきもせずにしっかりとカバーしている。
「ねえ、その首にかけた十字架。あなた聖職に就いていらっしゃるの?」
「……いや」
「そうよね、そういう気配がまるでしないもの」
 返された言にくつりと笑い、女はさらに男に顔を寄せ、紅をさした唇を男の耳に寄せる。
「どちらかといえば、あなた、聖職とは真逆な位置に立っているように思えるのだけど」
 囁きを告げる。
 と、男はその瞬間にひたりと動きを止め、女の細い腰を押し遣り離れようと試み始めた。が、華奢な女の体躯からは想像し難いほどに強靭な力で、女はあくまでも男の身体を離れようとしない。
 変わらずに男の耳元に唇を寄せて、女はひそりと笑みを宿す。
「無駄よ。私が離れようと思わない限り、私をあなたから引き離す事は出来ないわ」
 密やかに笑う女に、男はさらに不快を顕わにする。
「ねえ、ここにいるゲストの大半が生きた人間でないって事は知っているんでしょう?」
「……あんたは人間ですらない」
「あなたも、ほとんど人間と外れた存在じゃない」
 首を傾げ男の顔を覗きこむ。
 男の首に両腕を絡め、男は女の細い腰に片腕を回している。ともすれば一見睦まじく絡み合う恋人同士に見えなくもないふたりだが、その実、ふたりを取り巻く空気は凍りつくほどに冷ややかだ。
 ふたりはしばしの間言葉もなく視線だけを重ね合い、やがて男が先に折れた。
「俺はカイザーという。……あんたの言うとおり、ここには屍鬼共がごろごろいる。この城を中心に、静かに周りを侵食している」
「最近、市内で起きている失踪の事ね」
「失踪ではない。皆ここにさらわれて来ている。そうして一度”死”を与えられ、その淵から起き上がってくるのかどうかを試す」
「起き上がって来たのが今ここにいるゲストね」
「全員がそうだというわけでもないがな」
 言を交わし、カイザーは再び女を引き離そうと試みる。が、女はまだ離れようとしなかった。
 赤い眼光が真っ直ぐにカイザーの瞳を覗き見る。
「あなたは彼らを殺しに来たのね」
「そうだ」
「ハンターなんだわ」
「そうだ」
「狩りって、楽しい? ねえ、初めに狩りをしたのっていつ頃? 相手は誰だったの? 起き上がった連中? それとも化け物? それとも人間?」
 女はカイザーの耳元で、まるで他者が見れば愛を囁きかけているかのように楽しげに、艶めいた面持ちで言葉を紡ぐ。
 カイザーは女が編み続ける詰問の数々に、怒りを示し、片眉を大きく跳ね上げて、そのまま勢いをつけ壁に向けて女の身体を押し付けた。
 自由になっている片腕で女の顎を掴み、それを持ち上げて、「いい加減にしろ」静かにそう言い放つ。
 女は低い笑みを零して肩を竦める。
「狩りは楽しいのね。さっきの、ラウロを狙ってたときの顔。ゾクゾクしたわ。あれは殺しを心の底から愉しんでいる狂人の表情よ」
 カイザーの怒気に、女はわずかほどにも怯まない。
「私と同じ」
 続け、女は見る者総ての心を鷲掴みするような艶然たる笑みを浮かべ、カイザーの唇に自分の唇を近付け――
 次の瞬間、カイザーの耳に触れたのは女の声ではなく、深い、底の窺えぬ闇を連想させるような低い男の声だった。
「殺したくてウズウズしている顔だ。……実にセクシーで素晴らしい」
 くつくつと笑ったその男は、一目に仕立ての良さの知れる黒いスーツに黒い丸サングラスをかけた壮年の男――ベルヴァルドであった。
 ベルヴァルドは指の腹でサングラスの位置を正しながら、カイザーを見やり、頬を歪める。
「君とはいずれまたゆっくり、……じっくりと会話を楽しみたいものですね」
 言い残し、人混みの中へと紛れていった。

 ミイラ姿でバンドネオンを即興弾きしてみせたクロスは、周囲で沸き起こるブラヴォーの声に慇懃に腰を折り曲げて、感嘆の意を見せている城主ラウロに向けても丁寧な所作で礼を見せた。
 楽士達にバンドネオンを返却し、ふと顔を持ち上げてホールの一辺に視線を送る。
 楽士達がいる位置からはいくぶん離れた角に、真白なカソックじみた装束を身につけた男がいる。そうしてその男から離れこちらに――ブラックウッドか、あるいはラウロに用があるのだろうが、ともかくも典雅に歩み進めてくる黒衣の悪魔の姿が見えた。
 ベルヴァルドはクロスの視線を受けて頬を緩め、サングラスを指先で押し上げながら片眉だけを跳ね上げた。
 つい今ほどまであのカソックの男と共にいたのは確かに妖美な女であったはず。が、女は瞬きの間にベルヴァルドへと変じていた。それは、ベルヴァルドが女に姿を変えていたのだと考え付けば何ら不思議でもない結果だ。
 ――今、この城内にはヒトとしての理を外れた者達が多く集っている。テーブルにワインより他に並べられていないのも、せっかくの窓に遮光のための細工がなされてあるのも、――漂い満ちている夜の気配や満ちているごくわずかな死臭も、総てがそれを示しているのだ。
 そうして、それは今ここにいる自分、それにブラックウッドとベルヴァルドもむろん気付いているだろう。そうしてあのカソックの男。あるいは他にまだ何人かが同じものに気がついて今この城内に身を潜めているのかもしれない。
 楽士隊が再び音色を響かせ始めた。
 すれ違う一瞬、クロスは横目にベルヴァルドを見る。
 ベルヴァルドもまたクロスを見ていた。
 互いに短い刹那笑みを交差させ、互いに何も気取ってはいないゲストへと立ち戻る。

 博美は女給仕の衣装に袖を通し、鉄格子の狭い一室を後にした。
 
 体調が優れない事を主張した博美が案内されたのは、地下の、光源ひとつ用意されていない牢屋の並ぶ場所だった。 
 こちらでラウロ様をお待ちくださいますよう、と、給仕は途端ににこやかな表情を一変させた。そうして博美を牢屋のひとつに押し入れようとして、しかし、博美はそれを逆手に取り給仕の両手を締め上げたのだ。
 給仕の首に指を触れてみる。脈は無く、どころか熱さえ感じられない。
 ――なるほど
 目を眇めて舌打ちをする。
 給仕は腕を締め上げられながらも懸命にもがき、今にも博美の手から逃れだしそうな風を見せていた。
「悪いね」
 形ばかりの謝罪を給仕に向けて低く落とし、素早い手刀で給仕の後ろ首を打つ。
 気を失った給仕の装束と自分のドレスとを替えて、おそらくは自分が入れられるはずであったのだろう牢屋の中に閉じ込める。
 施錠を確認し終えると、博美は並ぶ牢屋のひとつひとつを検めだした。
 ――この城は動く死者共に占拠されている。
 潜入前に耳にした噂は、紛れもなく、事実だった。

 ソルファは怪獣の着ぐるみを身につけて、今は梨を齧っていた。大玉な、味の良い梨だった。
 ところで、先ほどソルファは白いカソックを纏った男が杭のようなものを手にしているのを、一瞬ではあったが、ちらりと目にしていた。
 ソルファがそれを確かめようとした矢先、男が女に捉まってしまったので、結局ソルファは男が手にしかけていたそれが事実杭であったのかどうか、確認のしようが出来なくなってしまったのだ。
 しかし、もしもあれが杭であったのならば。……その風体などからも考慮するに、男は城内に蔓延る汚らしい屍鬼共を排除しに来ているのかもしれない。
 ソルファは、今は再びひとりきりになったカソック姿の男に向けて歩み進める。
「神よ……」
 男の胸に揺れる十字を見つめながら低く呟く。
「私の魂よ、主を賛美せよ。命のある限り私は主を賛美し、長らえる限り私の神にほめ歌をうたおう」
 言い終えて、残りの梨を口の中に放り込む。
 屍鬼などという存在は、神の名のもとに赦されざるものだ。一刻も早く罰せねばならない。
 
 カソック姿の男の前で足を止める。
 男は眼前に歩み寄った怪獣姿のソルファに目を向けて不審そうな色を浮かべ、ソルファが差し伸べたリンゴに目を落として首を傾げた。
「あんたはここの腐った連中を屠りにきたんだろう? 私はソルファ。あんたの手伝いをさせてくれ」


<lamento>

 それは突然、何の前触れも起こさずに芽吹きを見せた。
 それまではさわさわと夜風に唄う葉擦れのような囁きを交わしていた淑女達が、金切り声を張り上げ、次いでその場に崩れ落ちてしまったのだ。
「何事かな」
 ブラックウッドが落としたのに応えるように、ラウロはさも当然の事が起きたのだとでも言いたげな口ぶりで口を開く。
「食事が始まったのですよ」
「ほう」
 目を眇めたのはベルヴァルド。
「あなた方も、いかがかな。今宵は余興として、生餌を多めに放っておりますから」
「生餌、ですか」
 頬を歪めたベルヴァルドを嬉しげに見、ラウロもまた頬を緩める。
「あなたもお好きなのでしょう? さあ、遠慮なく」
 

 ホールのほぼ中央、二十代の前半ぐらいかと見受けられる女が喉を押さえ懸命に床を這いずっている。
 女はナメクジのように床を這い、這った後には鮮血がべっとりと塗られていた。
 幾人かの女がそれを見て腰を抜かし、その場に崩れ落ちている。が、それ以外の紳士淑女達は変わらずさわさわと笑みを交わしつつ、喉から鮮血を噴出しながらも必死にもがき、どこかへ逃げようとしている女を取り囲んでいる。
 楽隊がユーモラスな曲を奏し、それを合図にしたかのように、ダンスホールの中は一斉に地獄の底へと叩きつけられたのだ。
 
「……っ」
 螺旋階段の向こう、通用口からホールに立ち戻った博美が初めに目にしたのは狂乱する舞踏会場の光景だ。
 逃げ惑う淑女。彼女達のドレスには点々と散る血で滲みがついている。何人かで群れを作りホールのあちこちを走り回るその周囲には、狩りを愉しむ狩人めいた恍惚とした表情を浮かべている紳士淑女達が群れをなしている。
 その傍らで、楽隊はもう既に兇徒のようだ。楽の音は場にいるほとんどの者の心を高揚させ、あるいは恐怖を増幅させる。彼らはゲタゲタゲラゲラと嗤いながら楽器を奏し、彼らが奏でる音がホールの皆を躍らせているのを狂喜しているのだ。
 ぎりと歯噛みをし、博美はホールの上部、通気のための穴に視線を向けた。
 博美は地下の牢屋をくまなく確認してみたのだが、そこには生きた人間はひとりもいなくなっていた。
 少なくとも、そこに捕縛されていた人間は確かにいたのだ。――糞尿や腐敗した残飯、嘔吐した痕跡。あるいは腐った子供の死骸。そういった惨状が残されていたのだから。
 その後も城内を一通り確認してまわった。むろん、隠し部屋や通路がありそうな場所もくまなくだ。が、城内のどこを見ても生きた人間を発見するには及ばなかった。
 ……そう、生きた人間は、ひとりも。

 ソルファは、初めの内こそ着ぐるみを着たままでいたが、さすがに動きにくさを感じたのだろう。それを脱いで日頃動きなれているよれよれのパーカー姿を取った。
「あんた、……えーと、カイザーさん! 武器はありますか!?」
 ソルファは喧々とした人混みの中にいた。初めに”喰われた”女を救出に向かった時、女は既に死んでいた。……いや、おそらくは死んでいたはずだ。もしもその後に起き上がってくるだけの要素があるとしても、起き上がってくるまでには数日を要するはずだ。……これまでの失踪者を鑑みるに、それはあくまでも仮定の話に過ぎないのだけれども。
 次に狙われたのは初めの女の傍で腰を抜かし崩れ落ちた女だった。ソルファはすかさずその女の前に立ち、上着の背から取り出したショットガンと、次いでポケットから抜き出したサバイバルナイフとを手にして周囲を囲う屍鬼達を睨みすえた。
「武器」
 カイザーはソルファの言を復唱し、ソルファに背を預ける格好をとって懐から真鍮製の杖を取り出す。杖は、カイザーが手を触れると見る間に大きな鎌へと形を変え、まるで闇に浮かぶ三日月のような光を放ったのだ。
 大鎌を構え持ったカイザーに笑みを見せて、ソルファは何ら気配をすら感じさせる事もなくショットガンの引き金を引いた。打ち出されたのは銀弾。銀弾は紳士の喉を貫通し、紳士はその場で死者の淀んだ血液をぶちまけて昏倒した。
 カイザーは大鎌を構え直して横に一閃。三人の淑女達がマネキンのように首を撥ね上げてドチャリと倒れる。
 その淑女達の向こうにはミイラ姿のクロスが立っていて、穏やかな笑みを浮かべ、胸に提げていた十字を指先で弄んでいた。
『わたしもきみのみかただ』
 ベールの下、形の良い唇が音もなくそう刻む。
 カイザーはクロスに向けて大鎌を振り翳し――クロスの後ろで今まさにクロスを捉えようと両手をかかげていた老人の頭を真横にすぱりと切断した。

 楽隊は一変しつつあるホールの狂気を目の当たりにしつつも、けれどもやはり楽を奏するのを止めようとしない。彼らはもはやオルゴールのようなものなのかもしれない。音を奏する事でしか動く事の出来ない、気狂いの。

「今宵はまたいつもとは違う趣向をこらしているのだね」
 鴉面をつけたまま、ブラックウッドは腕を組み、楽しげにホール内の惨状を見つめる。
 ちろりと横目にラウロを見れば、ラウロはそれでもどこか余裕めいた色を浮かべてワイングラスを口にしていた。
「時折はこんな風にハンターが紛れ込む事もある。……今宵は死者のための祭。それを主旨として掲げた舞踏会なのだから、日頃よりはこうして騒がねば」
「死者が死者に立ち戻る」
「新たな死者と不死者も現れる」
 言って、ブラックウッドはラウロの視線と自分のそれとを重ね合わせる。
「私の名前が知りたいと言っていたね」
 ふわりと笑みを浮かべてそう続けると、ラウロは喜色を満面に浮かべた顔でブラックウッドの腕を掴み取った。
「教えてくださるのか!」
 ラウロが顔を綻ばせるのに目を細め、ブラックウッドは流麗な所作で面を外し、金に閃く眸で真っ直ぐにラウロを捉える。
「君もこの町に現出した同胞ならば、せめて一度ぐらいは耳にした事もあるのではないかな。――私は同胞の動向を監視するのが役目」
「……監視、」
 ラウロの顔に笑みが浮かぶ。
「ああ、聴いた事があるとも。――長老の」

 ソルファが放った弾丸が楽隊のつまびく音色と被る。
 右ではショットガンを弾かせながら、左では隙を見て襲い来る屍鬼の眼球にサバイバルナイフを突き立てる。それは怖ろしい殺人鬼のような姿ではあったが、けれど、ひたひたと床を叩くトカゲの尻尾がどこかユーモラスでもある。

 ベルヴァルドはゆるゆると楽隊の傍らに立ち、しばしの間静かに笑んでいたが、程なく、両腕を大きく振り上げて、指揮者の居ない楽隊をまとめあげるマエストロの如き動きを始めた。
 指揮棒は無い。が、ベルヴァルドはその瞬間から確かに彼らの指揮者となったのだ。
 楽隊は一斉にベルヴァルドに目を向けて、狂った楽の音を休め、数拍の間を置いた後に流れるようなガストルディを奏し始めた。

 ブラックウッドはラウロの声に応えるように穏やかで優しい笑みを満面に浮かべ、流れ出したマドリガーレに合わせ朗々と歌を歌いだす。

 博美は襲い来る屍鬼共に応戦しながらも、時折通気穴を仰ぎ確かめる事も忘れずにおいた。
 そう、博美は地下に火を放ったのだ。
 地下は湿って空気も重かったが、死骸や糞尿を火種に、炎は思いの外勢いよく広がった。同時に二階のゲストルームや書架等にも合わせて発火を仕掛け、それは時間が来れば順次着火するようにしておいた。
 炎は地下や二階より生じ、やがて残るこの一階、ダンスホールにも舌先を伸べてくるだろう。その進行度を窺うための通気穴だ。煙がそれを報せてくれるだろう。あとはただそれを待つばかり。

 ブラックウッドの歌声は、辺り一面、ホールの端々にまで満ち広がっていた狂気をたちまちに鎮めていった。
 ソルファとカイザーは屍鬼共の汚れた血液を浴びてどろどろになっている。
 クロスはブラックウッドの歌に合わせ鼻歌を交えつつ、ホールを歩き、生者と不死者の血や臓物や脳漿が混ざりあい床に散らばっている、その中に膝をついて片手を揮う。
「拘束されし聖母、……その御姿をここに顕し給え」
 落としたそれは美しい詩を朗読しているかのようだ。密やかで、甘い声音。

 その時、
「火の手がまわる! 我が同胞達、速やかに退去せよ!」
 博美の叫びがその場を一蹴し、場は再び兇徒の喧騒の中に突き戻された。
「我が同胞共、我を救いだせ! こやつ等を殺せ!」
 ようやく事態を把握したのだろう。ラウロのヒステリックな叫びがホールの中に反響した。
 招かれざるハンター達の手により数も随分と減らされたとは言え、それでもホール内には未だ圧倒的な数の屍鬼がいる。つまりはラウロの手足となる連中が、まだごろごろといるのだ。
「殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!」
 下卑た笑いを溢れさせながら、ラウロは下僕共を扇動するようにしてそう叫ぶ。
 だが、ブラックウッドの歌声は未だ朗々と響いている。急ごしらえなマエストロにしてはきっちりと見事に役を担っているベルヴァルドも、もはや彼らのオルゴールと化した楽隊も、ホール内の喧騒も、何ひとつとして止んでいない。
「殺せ、殺せ、殺せ!」
 ラウロはさらにヒステリックに叫んだ。
 と、応えの代わりにホールを揺るがしたのは、床に散らばる惨劇の痕跡の中、赤々と光る邪光。そしてそれが現出する地鳴りの音だった。
 ホールの床が大きく崩れ、大地にぽかりと大きな穴が拓く。それは怪物の口蓋のように生臭い空気を噴出させて、屍鬼共がその口の中にばらばらとなす術もなく落ちていく。
「殺せ殺せ殺せ殺せころ」
 ガツん
 硬いものが腹に突き立った感覚を得て、ラウロはようやく口を噤む。
 ソルファがすぐそこに立っていて、サバイバルナイフをラウロの腹に深々と突き立てていたのだ。
「死ねよ」
 ソルファの呟きがラウロの耳を射抜く。
 
 ブラックウッドはいつしか歌を止めていた。
 ベルヴァルドは指揮する相手を楽隊から屍鬼共へと移していた。
 屍鬼共はラウロの身体を押さえ付け、銀のサバイバルナイフは柄まで食い込んで壁とラウロとを縫いとめていた。

「さて、食事がまだでしたね。……せっかくこのような素晴らしい場をいただいたんだ、食事をせねばその方がむしろ失礼にあたる」
 ベルヴァルドの声が、ブラックウッドの低い笑い声がラウロを舐める。
 ふたりは同胞によって押さえつけられ自由を奪われたラウロの首を、胸を狙い定め、愛撫するように優しく牙を剥いた。

 クロスは今にも崩れ落ちそうな床の上に跪き、深い穴の底にちろちろと窺えるその影を食い入るように見つめた。
 影はばらばらと落ちていく屍鬼共を次から次へと噛みしだき、咀嚼し、更なる闇黒の底へと飲み下している。
「おお……おお……聖母よ……!」
 歓喜にむせぶクロスの声が、絶望と恐怖とに溢れた叫びの中に異色を放つ。
「ヒア、ヒアアアアッハハハハハハハ! クヒヒャヒャハハハハハ、ついに、ついにこの目にしたぞ! ヒハハハハヒャハヤガハヒイヒヒ!」

 博美はその隙に乗じて命を留めた人間達をホールの外に連れ出し、そうして燃え盛る城を森のすぐ傍らで見守った。
 ――彼らは未だ炎の中。炎と血と絶望と恐怖とに舐め尽された、あのダンスホールの中にいる。
「……対策課に行きましょう。送るわ」
 恐怖に身を竦め動く事すらままならずにいる彼女達を宥めながら、博美はそっと踵を返した。         
 背中で、森が静かに舌なめずりをしているような気配を覚えながら。
 

クリエイターコメントこの度は当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。

うーん、今回は我ながらシビアに判断をさせていただきました。いや、プレイングに関してです。
このシナリオに関してはまず初めに全体の流れをがっつりと決めておりまして、そこに組み木していくような形でプレイングを判定させていただいたわけなのですけれども。
なので、プレイングが弱かった・強かったといった関係上、結構正直にノベル中にも反映されてしまったような感じがします。
総てを拾いきれず、申し訳ありません。

カイザーはまたいずれ場を変えて登場させてみたく思います。よろしければまた構ってやってくださいませ。
公開日時2007-10-31(水) 22:00
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